やりたいことが見付かないのは学生の特権であるという安心感について
暇を持て余した女子大生です。最近、意識高い系へのしがらみを捨てました。
学校が始まり、研究室に久々に行ったのですが、先生がとてもいい話をしていました。
「やりたいことが見つからないのは学生の特権だ」
「焦ってこれ!と決める必要はない、決めなくてもいい時間は今だけである」
まあ、大人が大学生に言うこととしてありきたりなことだとは思うんですが。
いやなんか、安心しましたね。いいことかはわからないけども。いまいろんなことに手を出しすぎていて、いったい何が自分にとって楽しいのか、何が向いているのか、決めきれずにいるのです。
たとえば、ものづくりが得意なら簡単です。作って発表すればいいんです。プログラムを書くなり、絵を描くなり、文字を書くなり。たしかにこのブログも文字であり、ものづくりなのかもしれませんが、そんなすげーものっていう自信はありません。
これまでの人生で多少得意だと思ったのは、あるお題が出されて、ちょっと変わったアイデアをひねり出すことです。学校での決め事しかり、テストしかり、アイデアをひねり出す系のものは超得意でした。わかりやすいのは大喜利です。とても得意でした。
でもだからといって、それ、どう頑張ったらいいの?とか思うわけです。
と思うと、私はいつもお題を探しているのかもしれないと思い至ったりします。どこかにないですかね、こんな仕事。
やりたいことというのは見つかりにくいですね。神様も分かりやすく何か才能とかくれたらいいのに。
20年足らずしか生きていない私はこう思うのですが、どうなのでしょうか。
そして冒頭に戻ると、「やりたいことが見つからないのは学生の特権だ」と聞いた時めちゃめちゃ安心したんです。安心するとともに、「安心しちゃっていいのか!?」と焦る意識高い系大学生の自分もいるわけで。でも、やりたいことが見付かないのは学生の特権であるという安心感を得ているだけで、なにか余裕をもって行動で切るんじゃないかなとも期待しています。
モラトリアムです。